がんがら橋
がんがら橋
DATA
がんがら橋
いづろ停留所から
13系統 ハートピア行きに乗車
撮影:快速みいけ様
公開年月日:2004/4/11(Sun)

以下、2005/1/1、カリスマ車掌R’撮影

がんがら橋跡地
現在清滝川は暗渠になっているため、がんがら橋は橋としての役目を終え、跡地は噴水広場になっています


噴水の周りに移された親柱。 左:「ぐわんぐわらばし」 右:「丸瓦羅橋」

がんがら橋解説
が  ん  が  ら  橋  
 清滝川のここに“がんがら橋”がありました。
 この橋の名称の由来にはいくつかの説がありますが、その一つに次のような物語があ
ります。
 藩政時代、このあたりに広い土地をもっていた唐(今の中華人民共和国)の帰化人、沈
一貫が住んでいました。この橋がかかっているところも沈氏の領内で、沈一貫の「貫」と
唐国の「唐」をとって貫唐橋(カンガラバシ)と呼んでいたのが、いつの間にか、丸瓦羅橋
(ガンガラバシ)になったということです。
 沈一貫氏は、戦乱の唐をのがれて薩摩に来た人で、島津氏の海外貿易にも関係し、また
医者として活躍したので、山之内町あたりに土地を与えられていたということです。
 平成8年に橋としての役目を終えるまで、がんがら橋は時代の流れとともにその姿を
変えながら住民の生活を見守ってきました。
 ここに残った親柱4つは、大正14年9月に架け替えられたときのもので、その年月と
橋名(丸瓦羅橋・ぐわんぐわらばし)がしっかりと刻まれております。


平成10年3月 鹿児島市


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